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教室長の冒険譚
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2018/12/14(金) 00:06 個人的コメント
これはこれでありかな
今クールのドラマ、「獣になれない私たち」を全部見ての総括の感想がタイトル。

ドラマの感想駄々漏れにするので、ドラマ見てない人はなんのことやらってなるので、スルー推奨。



ヒロインの晶が言っていた台詞そのまんまだが、本当にそういう感想だった。
見てて辛くなるというか、心がえぐられるようなシーンもたくさんあった。
パワハラの社長に振り回されて、いまひとつ態度が煮え切らない彼氏に辟易して、ストレス解消のためにクラフトビールを痛飲する日々。
自分優先ではなくて、他人のためにあれこれと世話を焼いて、他人のために尽くして、自分の思いは飲み込む。
このドラマにあったのは、美化された人物や、もしくは非現実的な出来事ではなくて、自分たちが日々過ごしていることにちょっとだけ盛られる、そんなお話。
ま、登場人物が美男美女ぞろいなのは、ドラマゆえのご愛嬌だとしてw
それゆえに、自分自身の現在や身近なことと重なる。

このドラマのコンセプトは「ラブ”かもしれない”ストーリー」。
最後に晶と恒星がくっついてめでたしめでたしというものではない。
むしろ、友情はあっても恋愛感情はほぼなかったように思える。
もしくは、これからというところか。
それだけではない。
二人は無職になってしまった。
でも、これはこれであり。
「人に支配される人生はごめん」ということで、自分らしさを取り戻したんだから、それでいいじゃないか。
問題山積かもしれないけど、どうにかなりそうな感じ。
このちょうどよい感じというのが良かった。

今更だけど、この作品は主演・新垣結衣×脚本家・野木亜紀子で、「逃げるは恥だが役に立つ」のコンビである。
逃げ恥も、社会派コメディということで、夫婦のあり方など、鋭く現代社会に内在する身近な問題をえぐる作品だった。
今作も、そういう意味では同じではなかろうか。

たぶん、どのシーンが心に残ったかってのは、人によって、境遇によって異なってくると思う。
その中で、私が心に残ったのは、社長のパワハラに切れた晶が社長に食って掛かっても、「代わりなんていくらでもいる!」と言われて、傷つくシーン。
会社や家庭は、誰かがいなくなっても、どうにか回るようになっている。
また、どうにか回していかなければならない。
誰かがいなくなった途端に機能しなくなる組織というのは、存在自体が危ういレベルである。
となると、組織内での自分の存在価値や存在意義ってのは、何に求めればいいのだろうか。
「自分がいなければならない」という思いは、自己肯定としては正しくても、傲慢に見えてしまわないか。
「頼りにされている」という思いでいれば、傲慢にはならないだろう。
でも、それだけで人は納得して動ける、働けるのだろうか。
そこで必要になってくるのは、やっぱり「感謝とリスペクト」じゃないだろうか。
これは逃げ恥の考察でも書いた覚えがある言葉。
会社組織では、頑張りに対する報いがあるかどうか。
一言で言えば、報酬というわけだが、お金に限った話ではない。
昔、金で人の心は買えるかどうかということが話題になったが、私は金で人の心は買えるとは思っていない。
ただ、金でやる気は引き出せるのかなと思う。
で、大金じゃなくてもいいわけで、ギフトカードだったり、またはご飯をおごるとか、そういうのでもいいんだよね、きっと。
ま、だからといって、「金払っているんだからいいだろう。働け」といわれるのも癪な話。
お金(報酬)に心を乗せてやり取りするからこそ、意味があるんだろうなぁ。
なお、ドラマでは、その場では晶をかばう人はいなかったけど、あとになって何人もが退職願を出して、最終的に晶も「自分を殺して本当に死んでしまう前に」退職してしまうという展開だった。
どことなく憎めない一面がある社長だったわけだけど、見てるこっちがトラウマになりそうなくらいに迫力がある社長でもあった。
ぜんぜんまとまってないけど、考えさせられたなぁ。

で、主人公の晶と恒星の対極に位置するのが橘カイジと呉羽の夫婦。
お互いに自由奔放に生きているというか、変に干渉しあわない。
結婚してからも呉羽の奔放はそのままで、そのために週刊誌に写真を撮られ、世間の非難を浴びる。
会見に臨み、最初はしおらしくしていたものの、記者の「お子さんのご予定は?」と聞かれて怒りを爆発させる。
「結婚て、子ども作るためにするの? 一緒にいたいから結婚したの。それ以上何かある?」と。
この言葉、ハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。
そう、「結婚=子どもを作る」というものは、世間一般のイメージであり、固定観念だ。
でも、それに囚われる必要があるだろうか。
そっか、記者の質問は固定観念の押し付けなのか。
自分自身、子どもがいるわけで、「結婚=子どもを作る」という観念の持ち主だが、そうじゃなくてもいいんだ。
カイジはそのままの呉羽がいいって言っているんだから、それでいいじゃないか。
だから、「世間を騒がせたことについて」大義名分を振りかざすがごとく詰問する記者に対して、呉羽は「騒いでいるのはあんたたちだよね」と言い放つ。
そう、そもそも世間の常識に囚われていない二人なんだから、世間が騒いだところで、それがどうしたとなるのだ。
「橘呉羽は、カイジの妻である前に、呉羽です。これからも好きに生きようと思います。カイジと一緒に」
そして、会見場をあとにしようとする呉羽に対して、「何しにきたんだ」という記者に「自分以外の何者にもなれないことを確かめるために」という言葉で会見場を後にした。
なんというか、妙にスカッとしたワンシーンだったわ。

あと、妙に印象に残ったのが、5tapのマスターの台詞。
「長く店やってるとね、突然ふっと来なくなる人っているんだよ。それで、また別のお客さんが来て、常連になって、新しい人間関係ができて、少しずつ変わりながら続いていく」
うちもそうだよなぁ。
うちはある程度時限があるけどさ。
一期一会だよねぇ。

ドラマって、非現実的なことだからこそドラマになるわけで、日常をただ描くだけではドラマになりえない。
そういう意味では、このドラマは間延び感はあったように思う。
冗長さもあり、脱落した人もいたと思う。
先述の通り、「ありえるなぁ」と「あるある話」が描かれたのがこの作品。
逃げ恥ほどのドハマリはないけど、じんわり染み入ってくる、そして相変わらず考えさせられる、そんなドラマだった。

なお、中学生も何人か見ていたようだが、途中で脱落したようだ。
まぁ、世間の苦さを知っている社会人じゃなければ、「面白みのない」「だらだらした」話となるだろうなぁ。
これはしょうがないと思う。
むしろ、中学生でこの作品についてあれこれと物申せるのがいたら、怖いわw

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